張震嶽「等我有一天」

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張震嶽の新譜。今回の新譜は張震嶽名義では2年ぶりです。
さて、どんなアルバムになってるか…聴くまで全く予想できなかったのでした。
でもって、聴いてビックリ。
これって、張震嶽による張震嶽であることをやめたい「張震嶽やめます宣言」アルバムなのではなかろうか??ってのが私の第一印象でした。ちょっと衝撃的。
数度聴いてみると、まぁ、そういった「宣言」ってほど力強くもないという事にも気づくのですが、なにはともあれ新しい天地を目指して脱皮途中のヘロヘロになった「張震嶽」を見せられてる気分は変わらず。
いちげんさんはともかく、ファンの人はわりと涙無しには聴けないアルバムかも。
いや、デキが悪くて泣けると言う意味じゃないですよ、もちろん。
なんだか阿嶽の気持ちが伝わってきて、せつなくなっちゃうんです。
それはこのアルバムだけ聴いてもダメなの。以前の阿嶽を知っていない人が聴いたら、このアルバムはまた違った位置付けになるんじゃないかなぁーという感じ。でもすでに私はそういった無心の状態で阿嶽のアルバムを聴けるはずもなく。だから思いっきり身勝手に感情移入してますが、悪しからず。

アルバム自体は全体的にフォーク・ロックでこじんまりと綺麗に(地味に、ともいう)まとまっている感じです。
「這個下午很無聊」でブリティッシュを、「秘密基地」でアメリカン・ロックを、「有問題」でハードコアを、でもって「Orange」2枚でテクノとダンスミュージックをやってきた阿嶽がたどり着いた場所は、デビュー時にやってた音楽に一番近いフォークロックだったってことか(?)。
しかしこれは明らかに「元いた場所に戻った」のではなく、"螺旋状の道を上昇しながら辿るような"感じ。ユングの言うところの「自我の精神的経験は巡廻されることによってのみ真に理解される」というやつかもしれない。って、難しすぎて自分でも意味不明ですが(笑)、つまり、阿嶽は螺旋状に上昇している。
一度回るごとに景色は広がり、より自我に近づいてゆく。
そして今、ちょうど一回りしてきて、ああ、前より自分自身の本質に近づいたのかもなぁーってのをしみじみ思う…みたいな。そんなイメージが感じられる。

出すアルバムのことごとくが世間的に(台湾の音楽潮流的に)最先端を突っ走ってたパワフルでやんちゃな男の子は今回すっかり影をひそめてしまっています。
悩める若者になってる。
でも、そこから生れ出てくる自然なメロディはまた限りなく優しく、心にしみる。

阿嶽は予想以上に「台湾の若者の音楽教祖」というイメージに苦しんでいたのですね。大衆がイメージする従来の「張震嶽」像に苦しんでいた。
「愛の初体験」から始まったムーブメントの幻影(それは時が経てば大衆からは逆に「流行おくれ」とされるもの)から、どう自分を切り離してゆくか?阿嶽はそのことを今までずっと、必死で考えていたんだなぁと、初めて実感しました。(DJや電子音楽に走ったのも自分の趣味って問題ばかりでもなかったんだなぁ、と気づかされーの。いじらしい…)
「流行」とは悲しい存在でもある。
そこにいつまでもとらわれたくない阿嶽の気持ちが、この新譜には思い切り表現されてます。
自分が、読み捨てられる雑誌のような存在になってしまう、怖さ。
自分はいつだって自分のままで変わらないのに、周りの評価だけがどんどん変わっていってしまう不安。
ちょっと前の雑誌のインタビューで、阿嶽が「僕は僕。張震嶽というただの男。」というのをやたら強調してて、「あれー?何かまた嫌な事でもあったかな?」なんて邪推してたんですが、もう彼の中ではそういうことを強調して言いたいような意識(周りに判断をゆだねるのが嫌だと言う意識(?))が根強くあったんでしょう。
阿嶽がこんなにも苦しんでいたなんて気がつきませなんだ。
それを思うとなんだか泣けて泣けて。

阿嶽を表現する一番適したワードは間違いなく「Free」という一言であると思うのだけど、今までの阿嶽はそれを「自由」と言語変換して認識していたのを、今は「解放」と認識しているように思える。
思えば阿嶽のミュージシャン人生は「自由への飽くなき逃走」の連続だったかもしんない。
自由、というのはつまり無垢な自我をそのまま見て欲しいという欲求だ。
原住民、アイドル、若者の教祖、ファッションリーダー…そういうイメージにカテゴライズされることを嫌う。一定のイメージに縛られては逃げる繰り返し。
逃げて行く先には何があるのだろう?
でも、阿嶽には見えてる。そこには真の自分がある、ということが。

アルバムタイトルの「等我有一天」(僕を待つある日)でも暗示されているように、このアルバムは未来に希望を描いたすごく抽象的な内容をもった作品が多い。
今まで阿嶽は今ココにある現象、ってのを斬新な目線でヒョイッと取り出して、歌にしちゃうようないたずらっこみたいな所があったんですが、今回は興味の対象が完全に「内なる世界」に向いていて、詩の世界もやたらと示唆的です。
相変わらず日常を切り取ったような目線は変わらないんだけど…なんというか、深みがある。


ジャケットや歌詞カードなど、今まで以上にシンプル。でも歌詞カードの歌詞は全部阿嶽の手書きです。私は阿嶽の書く文字が大好きなので、見た途端、感極まって胸が詰まりました。そういう意味でかなり哲学的な意味合いをもったアルバムかも。
ご興味のある方は聴いてみてください。あえて「絶賛します、ぜひ聴いて!」とは言わない(笑)。阿嶽はきっとそういう煽り(?)を望んでないだろうから。

あ、あと一つ。懸念していたFreeNightというバンドの形態についても、阿嶽は最善の道を選んだように思います。
あのまま「有問題」のノリではこのバンド続くわけなかったですから(爆)。
こういうところの勘所の良さ、ってのが阿嶽の天性に備わってるんですよね。ホントに我が小弟弟は頭が良くて素晴らしい!
最後に、ワンポイント感想などをば。

1)一切再重來
「過去を振り返らないで。失敗も恐れないで。神様が君の手を握ってるよ。さぁ、勇気を出して進もう」といういきなりな涙モノのメッセージソング。こんな青臭い歌で泣けるってのもひとえに歌ってるのが阿嶽だからだ。ううう。
2)認輸
泣かせのメロディがこの身を包む。アルバムの主打歌です。これはぜひ聴いて欲しい曲ですね。「降参だよ」という曲名の通り、わりとメソメソした歌詞ですが、今の私の気分にはとても合っていてまた泣けた。涙もろいな(哀)。
3)秋天冬天
つぶやきフォーク。今の季節にとても合う。今すぐ君も歌えるぞ!という簡単で親しみやすい旋律が却って心にスーッと入ってくるのかも。静かなラブソング。
4)男子漢
フラレた友達を慰める男の子の歌。こういう友情ソングも多い(笑)。曲調は軽快なポップロック。サビは"嶽風"な音色のギターで、全体のイメージを引き締めてます。
5)只是朋友
またまたつぶやきフォーク。今度は好きな女の子が友人の彼女になっちゃう歌。酔っ払って作ったような気の抜けた歌ですがね。
6)蕾蕾
結婚式ソング。このアレンジはダサすぎ。ところでこの「蕾蕾」ってどういう意味?歌詞に出てくる彼女の愛称かな。正解を知ってる人は教えてください。
7)微風香水
「Orange」という2枚前のアルバムに入っていた同名曲のリメイクです。原曲はテクノでした。これはアコースティックバージョン。
8)等我有一天
タイトルチューン。軽快なフォークロックナンバー。「僕を待ってる"ある日"。それはきっと遠くない未来さ。可愛いオマルを探して赤ちゃんを産むんだ。」ふふ。そろそろですかね(笑)。
9)臭男人
フザケてるとしか言いようがない曲。ベースがもっと頑張ってくれたらカッコイイ曲になるのになぁー。ドラムのアレンジももたついててイライラする。反面、歌詞の音が面白く曲にハマるのは楽しい。これも阿嶽の才能の一つ。
10)雙手插口袋
自伝ソング!これは涙無しには聴けない。ファン必聴。多くは語りません、聴いてくれ。とてもよくできたラップです。やっぱこういうのさらっとできちゃうんだから泣ける。
しかし、9曲目から10曲目に移る時の異様な間(ま)の長さは何でしょう?意味不明です。10曲目はもしかして初回のみのボーナストラックだったりする?それともこの曲、あまりに本音を言い過ぎててちょっと隔離しておきたいのか?うーん。