「停電の夜に」

 

停電の夜に (新潮文庫)

停電の夜に (新潮文庫)

 

 

ジュンパ・ラヒリ:著
話題だった短編集が文庫化されて入手しやすくなっておりました。
これね、とっても素晴らしい作品集なんですよ。
静かな夜に、小さな明かりの下で1編ずつ読みたいような。

作者はこの作品集がデビュー作という35歳のインド系アメリカ人です(NY在住)。
この作品でO・ヘンリー賞、ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞、そんでもってなんと!ピューリッツアー賞まで獲ってしまってます。
著者近影を見てさらに驚くぞ。すっごい美人。
ですが「なんだよー、アイドル的"文壇の寵児"ってやつ?」と思ってると大間違い。その文章はうなるほど巧く、小説世界はトシに似合わないくらい成熟しています。ちょっと最近の日本では見かけないタイプの正真正銘の「文学」を書く人ですね。
まさしく才色兼備。

この作品は短編集なのですが、どれも物語的にはあっさりしています。
でも、哲学的にものすごく深い。それはもう作者の資質というか、すでに文学者として最初から存在しているのだなぁ、という感じがします。つまり読みどころはそういうところです。
ストーリーテラーというものは、誰よりも深い部分に気がつく人でなければダメだと思うんですよね。浅い人間には文学は書けない。
「ストーリーが書けて、ちょっと心情描写に凝れば文学の一丁上がり」なんてなフザケた作家が多い昨今、このような本物の小説家の文章が崇高に思える。別物ですな。
「ピルザダさんが食事に来たころ」は、衝撃的でした。(平和であたりまえの日常を描きながら究極の悲しみを表す方法に。)ところが、私にとっては涙無しには読めないものなのに「なんでこの作品で泣けるの?」という人もいるだろうと思うような作品なんですよね。
そういう微妙さが常にこの人にはある。
判る人にしか判らない感覚。で、判る人間で良かった...と思わせる感覚。
たとえると、多層構造のパイみたいなの。パイの表面しか食べてない人もいれば、半分まで食べてる人もいるし、8分目まで食べる人もいる。それは読者のそれぞれの経験や思索の成熟度や勘による。同じ読者でも「判り方の度合い」は9編それぞれで違う。
でも、パイはどこまで食べても「人生」なのね。
表面だけでも、底まで食べても全部、人生。あー、上手くいえませんが。

そんなのが9編も違ったモチーフで載ってるんだからスゴイ。
こんな透徹した感覚をここまで完璧に文章表現できるなんてね。すごいなぁなんて。羨ましがっててもしょうがないわけだが(^^;。