「放送禁止歌」

 

放送禁止歌 (知恵の森文庫)

放送禁止歌 (知恵の森文庫)

  • 作者:森 達也
  • 発売日: 2003/06/06
  • メディア: 文庫
 

 

森達也・著(光文社・知恵の森文庫)
放送禁止歌」そのものに関するルポというよりは、「放送禁止歌をきっかけにみえてきたもの」に関するルポ、かな。
誤解や思い込みもそのまま隠さずに対象にあたっている素直で順を追ったアプローチ方法にグイグイ惹きこまれて、一気に読んでしまいました。

著者の森さんが「東の出身だから」という理由で自らが同和問題を知らないことを言っていたのは意外でした。
私も東の人間だけれども、私の住んでいた地域にはこの問題があったんだよね。同和教育の授業もあったし。同和問題って全国区なのかと思ってた。

そのせいかな?この本の中には(同和問題から)「目を背けないこと」という言葉があるんですが、理屈では「なるほど」、と思いながらも、どこか不全感を感じてしまうんですよねぇ。
「知ることが大事」だと、森さんは言う。
多くの人がそう言っているのを聞いてきたし、森さんの接してきた解放同盟の人もおおむねそのような意見らしい。
私も、いろんな社会問題に対して「知ることが大事」と思うんだけど、同和に関しては昔っからどうもそうキッパリと割り切れないんですよね、感覚的に。
「差別をなくそう」というお題目の元に推進されてきた同和教育の残酷さを私は目の前で見てきて知っているからかもしれない。
その「教育」の現場には当事者もいるんです。しかもそれはしばしばまだ幼い子供たちであり、その子達は自分ではどうしようもない運命の悲しみを、知りたくなくても教えられ、さらされる。ある日突然苗字が変わった友人たちに、私たちは全くの邪気なく「どうしたの?」と聞いた。離婚したら苗字が変わる、というのは知っていても、一気に何人も同級生の名字が変わったらそりゃ「なぜ?」と思うのよ、小学生くらいだと。
その子たちを傷つけるのは社会であると同時に、私たちでもあるのだということを私は知っている。
その場にいれば誰でも、何もしなくてもその構図に入ってしまうの。
どちらも罪のない「ただの子供」なのに、あっち側とこっち側を無意識に作り上げる教育。
被差別部落出身者でない人が部落の人間を「人権」で守ろうという「人道的」教育…それが当時の「同和教育」のあり方だった。
だいたいさ、「差別をなくそう」っていう言葉の中にすでに差別があるよ。不遜だ。

「知る」事が有効に機能するのは自意識に目覚めている人だけで、意識が成熟していない者(ましてや子供)に何を教えても無駄なのが実情。無駄どころか有害きわまりない。
「知る」側の人間の心のあり方こそが問題であり、その心を教育する方が先でしょう。自立した心があってこそ初めて「自分の力で考えず、思考停止していまうことの愚かさ」に気づくことができる。
放送禁止歌」なるものが生まれる世の中を変えるには、そこからはじめるしかない気がする…と、森さんも書いてましたがまさに同感。