愚痴です。ごめんね。

聖書の精神に、「神のみぞ知る」というのがある。
「神だけは知っていてくれる」と言ったほうがいいかもしれない。
私は時々この言葉にすごく支えられる。

抜き差しならない事情で、どうしてもある友人に不義理をしなければならなくなってしまった。でも、その友人に不義理をせねばならぬ理由を説明することは、別の友人に迷惑がかかってしまうのでどうしても言えない、という状況に陥りました。
こんなとき、私は(自分には非が無いのに)弁解もせず、あえて誤解を受けるような境地に甘んじなければならないことが、とてもとても口惜しいのです。
なんという不条理だろう、と思う。アタシは悪くないのに!と。
不義理をされた友人は私を恨むだろうな、と思う。
それでも真実を私の口からは言えない。もう一人の友人に対しての配慮があるからです。
私にとっては、不義理をしてしまう相手の方が、配慮を必要とする相手よりも数倍大事な人だったりするので、それがなお一層苦しい。
たぶん、相手にはこのいきさつもこの気持ちもわかってもらえないだろうと思う。
でももうそれは、仕方ない。知らぬ存ぜぬの横顔でやり過ごすしかない。

そんな時、涙ながらに聖書の言葉を思い出してみる。
「施しをするときに自分の前でラッパを吹かないように。右手のやる善行を左手に悟られぬように。」という非偽善のくだりを。
弁解をしない、とか、自己喧伝しない、というのは人間の欲望にあるいは反するものだと思うけれど、「それでもいいのだ、神が見ていてくれるから」という境地に立てたら、少しは気が楽になる。
常にそう思っていたいと思うのだけど、やっぱり実際にそういう状況になると人間って弱いよねぇ。
どうしてかくも多弁になりたがるのか?
神以外の誰に、何を、わかってもらおうと必死になっているのか?
本当の「義」など、神しか知らないのに。
そう達観できたらどんなにかいいだろうなぁ。
って、こんなこと愚痴ってるし。はは…萎え~。
でも、書いたらちょっとすっきりしました。こんな行為もしないですむようになったらそれこそ立派なんですが。