「死ぬための教養」

 

死ぬための教養 (新潮新書)

死ぬための教養 (新潮新書)

 

 嵐山光三郎・著(新潮新書
帯の宣伝文句は「宗教なんてもういらない!」です。物故作家の書物や、死の周辺に関する書を紹介しながら、いろんな「死との向き合い方」を著者自身の死への不安と合わせて読み解いてます。
私は、死を不安に思わなかった日は今まで一日たりともないので、ご多分に漏れずふと気づいては震えながらすごしているわけです。
死に不意打ちをくらいたくないゆえに、逆に日々あえてそのことに向き合ってる気がします。防衛本能なのかも(?)。私の不安は自分の死ももちろんですがそれよりも愛する人の不在への恐怖、に尽きます。人を愛することの哀しさはここに集約されると思いますが…。
そんな私が果たして「教養」などで救われるかいな?ってな興味で読んでみたんだけど。
一読の限りでは焼け石に水、って感じです。
やはり「教養」では太刀打ちできないんじゃないか…と激しく不安に思いました。
じゃ、やはり死の処方箋は宗教に限るのか?
宗教はある一部の感覚を麻痺させてくれます。それはやはり不安への対症としては有効かもしれなくて、極楽や天国の概念ってのがあるのは人の英知の結晶だとも思うわけです。(本当にその宗教を信じていればそれは英知などではなく厳然たる事実であるわけですが)
でも、そう言ってしまえば、ある一部を麻痺状態にさせるほど個人的に強い哲学が持てるならば、つまりはそれでいいのかもしれません。信念、ってやつでしょうかね。それがあれば人は強くなれるんだろうな。
信念を呼び起こすには、ある人には宗教が、またある人には規律だったり道徳だったり欲望だったり…が必要であり、教養ってのもまた必要とする人がいるのかもしれない、とも思えます。大雑把に言ってその過程ってのは全て「悟り」といわれるものなのかも(?)。