闇に光があるとしたら

ただでさえ私の場合、暗い話題(=社会に対する憤りを喚起するもの)に出会っちゃったりすっと落ち込むので、無防備にTVのニュースや噂話を聞けず(あえて聞かず)、ココロして善きもの、楽しいもの、構造的(論理的?)なものに常に視線を置くようにしてるという、打たれ弱いヤワな人間なのですが…日常がバタバタして、情報選択の余裕がなくなってくると、嫌な話題がどうしても耳に入ってくるようになる。でもって、忙しいとなかなかそこで生まれた心のモヤモヤも巧く発散できずに、澱みのような何かが溜まってゆく。あまり良い循環ではないですね…。
師走ってのはとかく世知辛いというのはそういうことかもしれない。心の自浄作用のサイクルが狂う。

社会に対する憤りってのは憤りの中でも最もストレス度高いんだそうですよ。
それはたぶん、自分の考え方次第でどうにか解決の糸口が見つかるというものでもないし、マスに対するオノレのあまりの非力にやるせなくなるからでしょう。厭世的になっちゃうのね。
TV観ることも気が進まない毎日。TVというのは暴力だなぁ、とよく感じます。
私の好きなもの(ドラマや音楽)はTVの中にあるけれど、嫌いなもの(凶悪事件の報道や過剰な情報)もそこにある。TVは、ものすごく「取り扱い注意」が必要な機械なのかも。
同じニュースでも新聞で情報として読むのとニュースショウで見るのとではショックのレベルが違うもん。憤り度も全然違う。ブラウン管の向こうで、実際に話をしているコイさんや石破の顔など見てると、そりゃもうすっごい暴力で息苦しくなりますしね(←血圧が急上昇して)。体に悪すぎ。
60年前もこうして世論などとは関係なく歴史は動いて行ったんだなぁと思うと、しみじみしちゃいますねぇ。ああ、そういうことだったのかという感じ。世論は強い、なんて誰が言ったんだろうか。世論を選挙に置き換えれば、それも真実かもしれませんが(爆)。

こうした大きなニュースはもちろんですが、それ以上に私は行方不明になってしまった少女や暴力でボロボロにされた子供達の事を考えるとしばらくの間頭からそのことが離れなくなってしまって、本当に落ち込んでしまうんですよねぇ。実はこれが一番ツライです。容易に自分の立場に置き換えて考えられるからだろうね。
ホントのとこ3日前に聞いたある事件がショックで、すごく厭世的になっちゃって…なかなか回復できません。思い出すと泣いちゃって…。どんな事件かは書きたくも無いので書きませんが。とにかく凶悪な、あってはならない犯罪がご近所であったということで。

嫌な事件が耳に入るたび、「そんな事件は知りたくない」、というエゴでいっぱいになる。
残酷なことが平気で行われる世の中が、闇以下の世界に思える。こんな世界は大嫌いだ、と。人間なんて救いようが無い、と投げ出したくなる。
「想像力」というものがあれば、人間は基本的に不幸なんだ、と思います。
これは個人レベルの話ではなく、人間存在ってモノはそういった種類のものだなと思うわけ。人は共鳴し合うものですから、本来は他人の悲しみも悲しいものなんです。距離感の差はあれど、そういう心はあるはず。
だからどこかで誰もが想像力を殺して生きている。そうでないと生きられない。全部抱えていくことはできない。悲しみは一つだけでもものすごく重いんだもんね…。
だからこそ、その中で自分が現実的にどれだけ恵まれてるかは常に自覚すべきだと思う。「足るを知る」だ。
こうして普通に生きてゆけることがどれだけの奇跡か。どれだけ「有難い」ことなのか。どれだけ何かに守られていることなのか。私は、それだけは承知していたいと思ってる。だから、ツライことがあっても、悲しいことがあっても、不幸だとは思わない。思ってはいけない、と信じている。思ったらバチがあたる。
だから私は自分のことを不幸だと思う心を持った人間が嫌いです。
心の中で殺さなければ生きられないほどの「想像力」を、その人は最初から持たずに生きている。それがどんなに楽チンなことかわかっていないくせに自分の境遇が嘆けるとは大したずうずうしさだと思うからです。ずうずうしいから嫌いなの。

来年、日本がどんな国になっているのか考えるだけで萎えそうな師走です。
ああ暗い。抱えきれないので、ちょっと吐き出してみました。しかも支離滅裂です。ごめんなさいね。明るく生きるのは人としての使命だと心に命じて(!)頑張ってまいりましょう。
スマイル(^-^)!