「ビックリハウス」を知っていますか?

ビックリハウス」ってのは、’70年代半ばから’85年にかけてパルコ出版から出ていた偉大なるサブカル雑誌です。当時のキラ星のようなマスコミ人やアーティストがこぞって参加して、いつも面白いことをやっていました。
糸井重里がいて、高橋章子がいて、戸川純YMO矢野顕子日比野克彦原田治赤瀬川原平みうらじゅん安西水丸橋本治嵐山光三郎ペーター佐藤鈴木慶一RCサクセションがいて…名前を挙げるだけでもグワーッと当時(私は80年以降の読者です念のため)の匂いがしてきそうなステキな面々が作り出す世界は、基本はパロディで可笑しかったんだけど、そのくせたまんなくオシャレで、トウキョーっぽくて、関西臭ゼロで(爆)、頭良さそうで、ある種スノッブで…私は毎号ものすごく楽しみにして貪るように読んでいました。憧れだった。

こないだ、元・ハウサーの友人から「ビックリハウス創刊から30周年だって!イベントもあるよ」というメールをもらって初めて知ったんだけど、「ビックリハウス」がこのたび生誕30年記念で1号だけのスペシャルイシューを出したのです。
不思議な想いを抱きつつ、急いで本屋に行きました。
ハウサーってのは、当時「ビックリハウス」のファンの人をそう呼んだのです。
この雑誌は読者投稿がすごく大きな役割を占めていたので、ハウサー達もまた、ビックリ的世界の担い手として自負があったんですよねぇ。何にもしないでただ購読してた読者も含めて。
私がハウサーだったのは、1980年の後半頃から85年(最終号)まででした。
最初にこの雑誌を知ったのは中学生の時。当時大学生だった従姉妹が「これ面白いよ」ってもってきてくれたのがきっかけでした。
すっごいカルチャーショックで、さっそく学校に持っていったんですけど中学ではこの笑いについてこられる子は皆無だったんです(^^;)。が、高校に行ったらハウサー仲間も何人かおりまして、布教も順調に進み…私たちの生活の隣にはいつも「ビックリ」的世界があるようになったのでした。

当時、芸大志望で美大受験予備校に通ってたアタシは、中でも「ビックリ」に彗星の如く現れた日比野克彦が大好きで、いつかは絶対に彼と同じ世界に棲みたいと、漠然と、しかし熱烈に思っておりました。ああ、ヒビノサンのそばに行きたい!と、受験そっちのけで夢見る夢子さんに。

 

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当時(高校2年時)作った栞(しおり)。左は憧れの日比野さんが「エンピツ賞エンピツ」を作った時のお姿を切り抜いて厚紙に貼ったもの。いつも手帳にはさんで持ち歩いてました。ダンボール製のエンピツと格闘する姿がカワユイ。右はRCの忌野清志郎ヘタウマ風(yona画)。RCも大好きでした。

その他にも「ビックリ」では憧れの前衛芸術組織ハイレッドセンター高松次郎赤瀬川原平中西夏之のユニット)の赤瀬川さんも連載やってたし、みうらじゅんなる変な兄ちゃんの淫靡なエロカワイイ世界にも魅せられました。「ビックリ」の中にはビックリするようなナウな芸術家がぞろぞろいた。

1985年。
アタシの無謀すぎた受験は結局失敗に終わりました。
途方に暮れ、やがて憑き物が落ちた私は迷いもせずに人生の方針を転換しました。人間、どうしてもムリなこともあると悟った。
芸術が蜃気楼のように遠く思えた春の日でした…。
私がこうして人生初の挫折を味わっていた頃、「ビックリハウス」も静かに姿を消しました。賑やかだった記憶を残して。
さようなら、青春。
さようなら、ビックリハウス
夢見る頃は過ぎ。
やがて昭和も終わりバブルも終わり、いつしか「ビックリ」はすっかり記憶の彼方に埋もれてしまったのでした。

ま、こんなとこが私の「ビックリ」的ストーリー@大雑把、です。
つい思い出語りしちゃった。
でもねーなんだかんだいって、若いというのはいいもので、挫折さえ甘美な思い出なんですよね。
不思議だなぁ。
もしかしたらもう一人の私が歩むはずだった人生をうっとりと想像できるからか?
っていうか、ダメダメだったのに元気だけは良かったあの頃の自分が、なんとなく可愛い気がするせいかな。
あれから19年。
だーっ。もう19年!?ちっとも進歩していないじゃん。
「ビックリ」が「ビクーリ」になっただけ(爆)。