「白い巨塔」最終回

終わってしまったねぇ(涙)。
この半年ハマり込み、並行して原作読みながら毎週楽しみにしてたドラマでした。いいドラマだった。原作、役者、見せ方、全てが完璧な、もう、ホントに忘れられない作品となりましたねぇ…うううう。
最後、財前が泣きながら死んでゆくところがたまらなかったです。佐々木庸平さんも泣きながら死んでいったよね…。
人間って、こうして泣きながら死んでゆくんだろうか?
「人間は誰もがたった独りで、泣きながら産まれてきて、泣きながら死んでゆく。」なんて言葉があるけど、なんか、そういうのが胸にコタエました。

最終回の日の夕方、このドラマを作っている多くの人を追ったドキュメント番組があったんですが、これがまた感動モノでして。
モノを作る人間の、真摯で真剣な姿勢に打たれました。
このドラマの全てが完璧だったのは、関わった皆さんが持てる力を出し切ったからなんだなぁーとしみじみと感じられました。
歴史に残る仕事になりましたね。関係者、スタッフの皆様、ご苦労様でした!と、一視聴者ながら拍手したい気分。
その番組中、監督の西谷さんが、このドラマを撮り終えて思ったことは?と聞かれて一言「人間は死ぬ、ということですかね。」とおっしゃってたのが印象的でした。
最終回を見る前だったから、この言葉もピンとこなかったんですけど、今ならわかる気がします。
このドラマって医学界の矛盾や法律の壁やいろんな人間の確執を描いても、結局「人が生きて、死んでゆく」というあたりまえのものの持つ深さに行き着くのでしょうね。

原作者の山崎豊子さんは現在入院中で、最終回は消灯後の病室でお独りでご覧になっていたそうです。その山崎さんが見終えた後の感想で「ものすごく嬉しかった」というお気持ちを話してらして、その時に、
「(打ち上げに行って一人一人と握手をしたかった。なぜなら)言葉はしょせん言葉でしかない。人間は触れ合ってこそわかるものだから。」
とおっしゃったんですよ。
なんだか、この言葉を聞いたときにじわーっと涙が出てきてしまいました。
あれだけの作品が書ける作家でさえ、こんなことを言う。
でも、あれだけの物語を作れる人だからこそ、この言葉に重みがあるのだと。
そこに、何かものすごく深いものを感じてしまって。
言葉を扱う人間が、言葉では追いつかない世界を描き続ける大変さを思いましたねぇ。
とにかく原作の迫力って、凄いんですから。医者でも弁護士でもない立場で、あれだけの小説世界が構築できることだけでも脅威なのに、その人間描写の深さや物語としてのエンタメ性にもゆるぎないものがあって。これこそが小説だ!と。とにかく圧倒されたのです。
ドラマも完璧でしたけど、それはこの原作があってこそなんだなぁーと感じましたね。
原作が必死だから、製作も必死になり、スタッフも必死になり、役者も必死になるんでしょう。好循環てのは、リスペクトの輪だったのかもしれない。

ちなみに「巨塔」はまだ終わりじゃなくって、来週「特別版」がありますので、まだまだ里見先生とは会える♪お話は、柳原先生のその後、ってのも交えた総集編らしいです。