この細い網(ネット)に集って

ネットで知り合って、とても仲良くしていた友達が、ある日突然消息を絶ってしまったことがある。
ネットだけのつながりではなかった人。
何度も会い、語り明かしたこともある。どこに住んでるか、故郷の家がどこかも知っている。彼女の悩みも、悲しみも、好きな食べ物も、みんな知っている…はずだった。でも、彼女は私の前から「消えて」しまった。
私は彼女をとても好きだったから、探しました。でも結局は探しきれなかった。というか…探さないことにしたのね。消えるには理由がある、と思ったから。どんな理由かは知らないけれど、彼女の「消えたい」という意思を尊重しようと思った。

彼女以外にも何人かこういう人はいる。「消えていってしまう人」が。
(ちなみに。「消える」、というのは文字通りネットの世界からいなくなることで、私と個人的に疎遠になること(こういうことは普通にある)ではなく、私以外のネット関係者の前からも同時に消えてしまうという事です。)
その都度、私は「ネット友達」の脆さやはかなさに落ち込んだり淋しくなったりしながらも、どこか彼女たちのことを羨ましく思っていた。
ネットの世界を抜け出ることができた勇気(私にとってそれはまさしく勇気なのです)に、感嘆していた。ネットへのアディクトを断ち切る勇気は、私には無いものだから。

かつて私達は確かにつながっていた。
誰になんと言われようと。
例えばよく言われるように「ネットの友達なんてホンモノじゃない」と言われても・・・私にとって彼女たちは正真正銘の友だった。一つの時代をともに過ごしたという想いがある。
けれど、私達は錯覚しやすい世界にいたのだ、と思う。
お互いを結び付けているはずの「理由付け」が自分の中で曖昧になってしまった時に、相手に対してすまなく思う気持ちは、この世界独特のものかもしれない。
風景よりも言葉や話題でつながっている者たちの道理、というか。
話すことがなくなったりズレてきたりすると、会話が空疎になり、やがて言葉自体を発しなくなる。それはネットの世界では「不在」であることとほぼ同義だ。
いないのと同じ。空気にもならない。

盛り上がってる友達と一緒に、それを楽しめない自分に気づいた時、「ああ、自分はつながれなくなってしまったのかも」と、今まで自分が生息していた世界への違和感を感じる。いたたまれなくなる。自分が相手の期待にそえていないと思う気持ちを淋しく想う。
そして、消えてしまいたくなる。
消えていってしまった彼女たちの気持ちが、今なら少しわかるような気がする。
彼女たちもきっとみんなローリング・ストーンだったのだ、と今では思う。
彼女たちもまた、人知れずこの世界に違和感を感じながら、ここから遠ざかっていったのだろう、と。
それもまた自然な「時の流れ」なのかもしれない。

私はこのサイトを始めた時からずっと、ここを読みに来てくれてる人に聞いて回りたいことがある。
「アナタはここに何を探しに来たの?」
「このサイトに来る理由は何?」
もはや中華明星的なファクターの無いこのサイトに、いまだに中華明星迷の皆さんが多く訪れてきてくれていることへの私なりの不安があるんですよね。
「明星迷」という肩書きの無い自分にネット的な価値を見出せないような感覚がどこかにある。
いったい誰が私なんかに、私の書く戯言なんかに、目を留めると思う?
誰が私の意見なんかを聞きたいものか。
私は、みっともないことをダラダラと続けているだけなのだ。
なんてなことを思う。

私に個人的な親しみを感じていてこのサイトに来てくれる人もいる。
面識のない人でも、(たとえ中華ネタではなくても)私の文章が面白いから来てるのだと言ってくれる人もいる。そう言ってもらえるのは嬉しいです。
でも、私自身はそこんトコすこぶる自信がないんですよね。
「このサイトを覗きに来る人が期待しているものは、私にはもうできない」と
常に裏切ってるような気分に苛まれ、罪悪感と自己嫌悪と自分のだらしなさに悶々としながら、それでも私はサイトを続けている。
まるで「逃走するように」どんどんズレながらサイトを続けている。
そして、思う。
「私達はホントのとこ、何でつながっているのだろう?」と。

「花花」の後遺症は大きいです。
もう、誰もが「花花」なんて忘れてるだろうに、私だけがあのころの「自分に求められていた役割」にどこか縛られてる。どうも、脱却しきれてないっていうか。
「役割があるからHPをやっているのだ」という確固とした想いが昔はあって、それは磐石だったので・・・それがない今の自分の身の置き所がわからないのかもしれない。
定期的にそんなことを忘れられなくしてくれるメールも届くしね。
例えば「裏獄の続きはまだですか?」とかさ(笑)。
そんな言葉をかけてもらえることの嬉しさと、期待に添えない自分への失望感は常に同居する。そう言ってもらえないのも寂しいけど、期待されるのも重い。
それでも私はどのみち、どんどん期待されてもいない方向にしか進めない。忘れて欲しいと願いながら、ズレ続ける。ズレた私に需要などない、と感じつつ、どんどんズレてゆく。

私は本当にいい加減な人間です。
みなの期待はあっさり裏切るし、小説も書きかけのまま放り出す、ファンサイトも途中でやめる、いきなり寝返る、急に興味の対象がアチコチに飛ぶ。もう、節操の無さはピカイチだ。
でももうそれをビクつくのはやめないと、と思う。
たぶんそれを責める人ももはやいやしない。幻想だ。
それに、私になんらかのパワフルさとか情熱なんてものがあるのだとしたら、この責任感のなさゆえ、なんじゃないかと思う。自分さえ信じていない責任感のなさ…それは徹底的に今現在の感情を優先する姿勢から来ている。
「責任」と「感覚」とは全く相容れないものです。
感覚はいつだって野放図。興味も好奇心も次々に移り変わる。「これを終えたら、つぎココに行こう」「これはきちんと最後までまっとうしよう」などという予定や計算なんて成り立たないもん。
もう、キモチが動くがまま転がってゆくだけ。でも、だからこそサイトをやる意義が(他者的にはどうあれ)自分なりにはある。

このサイトは私自身です。
何かを伝えるためのサイトではない。
もう、そう割り切ってしまえばいいんだよね。
そうしたら私はもう少しここにいられるかもしれない。
昔は何かを伝えるためにサイトをやっていました。だから、自分でも時々ごっちゃごちゃになってしまうのだけど、今は違う。私は、私のためにこのサイトをやってる。伝えたいことなど何も無い。
ただ私は自分を確認するように文章を書き、それをどこかで第三者が読んでくれることに少し支えられていたいだけ。

このサイト、もはや往年の面影はまったくないし、これからもどんどん変遷してゆくと思います。
でもそれは私にとって必然なんです。
みなさんが、変わってゆく私をどこか遠くで見ていてくれたら嬉しいけれど、風のようにここから離れて消えてしまっても、もちろんそれが自然なこと…という。そんな意味のことを言いたくてこんなことを書いてみました。
ここのところ、サイトを続ける意義みたいなものを考えてて、そのことに関して思ったことをいろいろ書いてみたわけですが、ちょっと支離滅裂(^^;)。
雰囲気だけはどうにか伝わっていますように…と願うばかりです。