季節と時間

今回の妊娠は計画したもので(今回だけでなく前回もそうでしたが)、思い立ってから有難いことに半年ほどで実現しました。
計画ったって、基礎体温をつけてタイミングを計るというごく初歩的なものだけど。
上の子を産んで10年近くも次の子を産む気にならなかったのは、単に上の子が可愛くて可愛くて、夢中になっているうちにいつのまにか時間が経ってしまっていたからです。
子供っていいなぁー、楽しいなぁと思いながらも、「もう一人産もう」という発想に至らないほどそれはホワホワと幸福な時間で。
しかしながらある時ふと、あと幾年かで40になってしまう自分(現在37歳)に気がついたとき、私はいきなり焦った。もたもたしてると、もう二度と子供が産めなくなるかもしんない!と。それはなんだかすごい損失なのではっ?!と。

物事にタイムリミットというのがあるのは知っている。
けれど、知っているつもりでも、それを実感としてリアルに考えられるときというのはそうそう訪れないものです。
しかし40歳というのは何かそわそわさせられる数字で、私にとっては今までみたいに「いつかどうにかなるだろう」っていうアバウトな時間の幅取りがそろそろ有効性を持たなくなる数字なのでした。重い腰も思わず飛び跳ねるような。

人間は確実にトシをとる。そして早晩、死ぬ。それは誰にでも平等に訪れる。
いつか自分がこの世界から消えてしまうことはリアルな現実だけれども、誰もが日々それを念頭にはおいていない。そんなこと考えて生きてゆくのはあまりに不自由だから、神様はそれを時々しか思い出さないように人間の脳をプログラミングしたんでしょう(?)。
それでもそのことを時々深く考えてみると、いろんな軌道修正をするきっかけにはなると思う。
毎日を、ただ淡々と流れる時間ではなく、もうちょっとリアルに感じてみると、自分が本当に欲しいものを得るにはそんなにたくさんの時間は残されていないことに気づく。
っていうか、死なないまでも人間っていつまでも同じところにはいらんないわけで。

人間には「季節」がある。
農業やガーデニングと同じように、季節を無視して何かしようと思っても巧くいかないんじゃないかと思ったりするんですよね。
もちろんその「季節」は人それぞれに違っていて、一概に年齢で区切れるものでもないとは思うけども、自分の本当の願いをきちんと把握して、日々の生活を誤魔化さず、不可能には見切りをつけ、今でなくてもできるものと、今でなければできないものという区別をつけてゆくのは人生の収穫を得るには案外大事なことかもなぁと。

「いつか」「いずれは」子供を作ろう、なんて考えている人は、頭でっかちな不安は脇へ置いておいて、できるだけすぐに具体的な行動を起こした方がいい。
気づきの遅さもあったゆえに、私はちょっとした「高齢出産」(この言葉はキライなんだけど)になってしまいましたので、こんな余計なお節介の一つも言ってみたくなったりして。
出産などというものは確実に物理的にリミットがあるものなので、本来は判断し易いわけだし周りからも計りやすいものなわけだけど、本当は仕事や将来の夢などでも全く同じことが言える。
何かモノにしたい事があるならそのためには実質的に動かなければ何も得られないというのは当たり前なんですよね。
それに気づくか気づかないか、タイミングを逃さないでいられるかどうか、というのはすごく大きいと思う。
何かを得るにはリアルな季節感、っていうのが不可欠っていうか。自分しかわからない行動に自信を持つには、そういう感覚が必要な気がする。(種を蒔く時期には誰になんと思われようと種を蒔くのだ、という覚悟とか、そういうの)

私はボケなので今更ながらこんなこと言ってるわけですが、堅実な人だったらもう20歳や30歳でこういう真理にはとっくに気づいて(気づくだけじゃなくて実質的に動いて)るんだろうなぁーと思います。
でも、こんなことをも今にならなければ気づかなかった私にとっては、きっと今が行動の「旬」だというのもあるんだろうな。その時にならないとわからないことがあるから、人間はトシを重ねる意義があるのかも(?)。