出生前診断にまつわる様々な事(1)

現在、大抵の産院で35歳以上の「高齢出産」の妊婦に一律に「出生前診断」の情報提供があるとされてます。
出生前診断」というのは、大きく分けて、胎児の先天異常の「可能性」を調べる「母体血清トリプルマーカーテスト」(血液検査によって調べる)と、その次段階にあたる「羊水検査」(お腹に針を刺して羊水を採取し、胎児の細胞を調べる)の2種類。(他にも検査方法はあるけど、普通の産院で説明を受けるのはだいたいこの2つ。)
これらの検査でわかるのは先天異常のごく一部、主に二分脊椎とダウン症18トリソミーなどです。
検査をするということは結果として異常があれば中絶を選択する人が多い事から、命の選別や障害者に対する差別につながるので倫理的には問題があるとされていて、医師はこれらの検査を患者に対して積極的に勧めることはしない…というのが今の日本の現状です。
でも、「こういう検査があるのですが、ご希望でしたら申し出てください」という形で対象年齢を区切って情報提供はするわけ。(ちなみに羊水検査では100件に1件の割合で流産の可能性もあるので、そういう事故に対する了承も必要だと説明される。)

このような検査が存在することは知識として知ってはいたけれど、いざ自分がこの検査の説明を受ける側になってみて初めて、私はものすごい葛藤と悩みと思索と自己嫌悪と不安の渦に何ヶ月も漂う事になったのでした。
ちょっとそのことについて何回かに分けて書いてみたいと思います。
どうしても、これは書いておきたい気持ちだったので。

私がこの検査に関するパンフレットをもらったのは、今回の妊娠の初診のときです。
(ちなみに9年前、長女を出産した頃にはこんな検査の案内はなかったし、検査の存在自体を知らなかった。)
内診で何か異常があったのだろうか?と思ってこのパンフを渡された意味を医師に聞いたところ、35歳以上の妊婦さんには全員この検査の案内を配ってる、とのこと。胎児の染色体異常は母体の高齢に伴ってその割合が増えると言われていることがその理由です。

それにしてもこれって、妊娠がわかったばかりの喜びにあふれた妊婦にいきなり冷や水をかけるような衝撃なのよね。
「あなたのお腹の中の子にも異常児の可能性があるかもしれない。調べてみませんか(調べてひっかかっちゃったらその後どうするのか考えてみませんか=産むか産まないかを選択できます)」と言われてるも同然なわけだから。
医師は「検査を受けるかどうかは、おうちに帰って旦那さんとよく相談してね。」と言いました。

私はこの話を旦那にするのがちょっとイヤだった。無駄だ、と思った。彼の性格は良く知っていて、話す前からどういう反応をするかがわかりきっていたから。
案の定、パンフを見せて「こういうのあるんだけど、どうする?」と聞いたら、彼は当たり前な顔で言った。
「こんなの受ける必要ないよ。意味ないじゃん。」
「でも、もし障害とかあったらどうしよう…」
「どんな子だってうちの子だ。大丈夫。ちゃんと可愛がって育てられるよ。」
「そりゃそうだけど…」
「そんなこと心配している方がよっぽど体に悪いよ。気にしない気にしない!」
それでこの話はオシマイ、である。
これ以上続けると「じゃぁどうしたいの?」という話になるし、どうしたいのか全然わからない自分には答えようもないし、ただ闇雲に「不安」を訴えても「大丈夫」という言葉以上に説得力をもたないので、私はそれ以上この話を続けるのを止めた。
それにしても彼は1秒たりとも悩まないのだ。見事なほどに。
これは人間のデキが違うのか、はたまた認識が甘いのか、神なのか馬鹿なのか、それはわからない。
でもきっと、彼は言ってることとやってる事が一致する、ということだけはわかる。
「どんな子だって可愛がって大事に育てる」と言ったとおりに、彼はそうする。そういう人。
問題は彼ではなく私だ。私だって自分の子供はどんな子だって可愛い。でも、心のどこかで不安を感じていた。
「赤ちゃんにもし何かあったら、どうしよう」と。
ほんとうにもう、どうしよう、どうしよう、とそればかりで、「もし」の先は何も考えられないし、「もし」があっても中絶という選択はあり得ないと思うのに、それでも心配のループは続く。

それに。「健康な子供が欲しい」というのは、それは巷では「あたりまえの母心」と言われるけれど、裏を返せば「異常のある子を持ちたくない」ということでしょう?
そのことに気づいた私はそんな自分のエゴに頭を抱えてしまった。
私は、こんな検査の案内一枚で露呈した自分の人間としての浅さに打ちのめされていた。自分を嫌いになりかけていた。
(明日に続く)