出生前診断にまつわる様々な事(3)

(先日の続き)
しかしながら、多少の知識を得ても結局のところ私の心が楽になるということはありませんでした。本に書いてあった当事者である他人の痛みを知った分、さらに気持ちは重くなった。「出生前診断」の本質的な思想=「優生保護思想」の実態を知って、ものすごく悲しい気分にもなった。
生殖医療の現場というのは思った以上にいろんな問題をはらんでいるんだなぁ…というのを初めて知りました。そのことを知ったのは収穫だと思う。
でも「そんなとこにまきこまれるのはヤだな」という意識は前にも増した。

育ってきた環境の中で、私の周りには偶然何人かの障害をもった子供たちがいました。
そのせいで私はダウン症がどんなものか、脳性麻痺を持った子がどんな感じか、など、わりと小さなうちからおぼろげながら知っている。彼らの家族の様子も、傍からうかがえる限りの事は知っている。
その人たちのうち、先天的な染色体異常をもっているのは割合からすると10人中3人、つまり3割といったところでした。
残りの1割は遺伝疾患で、あとの6割は出生時のトラブル(早産による低体重出産、分娩時仮死、カンシ分娩での脳の損傷、初期の流産を薬剤と絶対安静で無理やり食い止めたための複合的障害、誤投薬による脳性麻痺など)が原因の障害でした。
つまり、染色体の異常でない障害をもった人の方が数が多かったのです。
サンプル数が少ないので、これが平均値だとは全く思わないけど、いつ、どこで、我が子が障害者になるのかなんてのはわからない…順調に育っていざ分娩、というときに医療ミスで重大な障害が残ってしまったという例も思いの他ある、ということは言えると思います。

その他にも、最近ようやくその実態が世間に認知されつつある印象の自閉症アスペルガー、さらには傍目にはうかがえない内臓奇形や、骨形成異常、遺伝による疾病、免疫不全、一般的なところでアトピーやアレルギーまで含めたら、「健常」であるかどうかというくくりは非常にボーダレスなイメージではあります。
何もトラブルなく生まれて育っても、交通事故に遭って身障者になったりする例だってあるし、精神疾患にかかる可能性なんかまで含めたらさらにこの線引きは難しくなる。
「普通」と「異常」に境界線を引くよりも、それぞれ子供には個性があって千差万別なのだとくくってしまった方がよほど収まりがいいと思うほど、子供って(というか、人間って)多様なんですよね。

そんな中で、ごくわずかの先天異常しか判定できない出生前診断だけがクローズアップされ、妊婦を脅かしているのは考えてみれば変に偏っているのかもしれない。
それなのに、この検査の衝撃度は高い。それはこの検査が病気の有無の発見そのもの以上に、胎児を抱えた妊婦に「命の選別」の決定をゆだねる構造が最初から埋め込まれているせいだからだと言われています。
これは障害(病気)を見つけて、その障害自体にどう対処するか?というのではなくて、障害があったら「産むか生まないか」、つまり生か死を選ばせるという…人間存在そのものを脅かす、すごく怖い「診断」なのです。そして事前に障害が見つかった妊婦の大半は胎児を中絶するという事実がそこにはある。
欧米などでは「障害があっても産む」という人間に対してあからさまに「社会の迷惑」と考える国家もあるし、ある国では「出生前診断」にかかる費用を無料にしてまで、優生保護を推進しようとしている。「障害児は社会の不利益」と明言する組織はざらにある。
個々人のパーソナルな選択であったつもりが、やがては国家的な価値観へとつながってゆくんですよね…。
(続く)