出生前診断にまつわる様々な事(4)

(先日の続き)
日本でも生殖医療の現場における「倫理観」が問われるニュースがたまに聞かれます。
向井亜紀夫妻の活動で話題になった代理母に関する問題も、一つ認可したら崩れるものが多い難しさがあると思うし、罪悪感を持たないで命の選別をする着床前診断なんてのは、認めてしまうには怖すぎる。
「命の選別」に対しては、そこに罪悪感があるならまだしも(それぞれの事情があるのだろうと同情する感情も正直なところあるのだけれど、)罪悪感さえもがなくなるというのはもう論外な気がする。
何の畏れもなく、命を抹消するなんて。
妊娠出産なんてものは、どう考えても神の領域なのだから、畏れがなきゃしょうがないじゃないですか。

医学の進歩は、今はまだ水際で遠巻きにされている感もある出生前診断を、やがてはごく普通の「健診」に変えてしまうかもしれない、と言われています。
現段階では羊水に針を刺すときの流産のリスクや費用の額の大きさがあるゆえに出生前診断の検査を受けるのをヤメた、という人も多い。
この検査の根本的な怖さを認識する前に、現実的な検査自体のリスクや経済的ハードルの高さがあるせいで検査をしない人が多いというのは、多くの人がコトの本質を知ることから免れているということかも、と思う。
でも、この検査はやがて安全性の高い血液検査や尿検査に変わる可能性がある(らしい)。
母体に負担をかけず、安価な検査料で胎児の状態を知ることができるようになったとき、はたして妊婦はどうするのか。気軽にこの検査を受ける人が確実に増えるだろうと思う。
哲学を持たない状態で受けたら危険な検査だとも知らず、何の気なしに素朴な気持ちで受けてしまい、混乱に陥ったり結果的に傷つく人も続発しそうではある。
異常が出たら胎児を殺すという選択が圧倒的に多くとられるこの検査が大手を振るって普及する時、母という存在も脅かされる気がするのだけど…どうなんだろう。
デパートでお気に入りのバックを買うように、命を選択する時代が来るのだろうか?と思うと殺伐とした気持ちになります。
それでありながら、この問題の抱える難しさは、これが「絶対的に悪」と心情的に言い切れないところにあるわけで…つまりそれは人間だったら誰でももっているであろう「内なる優生思想」がどうしても存在するというある種の「弱味」との背中合わせだという事です。
要するに「出生前診断の検査がある限り」その葛藤は絶対にゼロにはならない。

言いたい事はいろいろとあるのですが、私の稚拙な説明じゃ何の足しにもなりません。
この件に関して興味のある方は「ルポルタージュ 出生前診断~生命誕生の現場に何が起きているのか?」(坂井律子・著/NHK出版)という良書がありますので、そちらを読んでみてください。私が今回読んだ中で最も影響を受けた渾身のルポです。とても参考になるよ。
(続く)