「代理母」について思うこと(3)

(続き)
こういう現実を踏まえて考えると、もしこのシステムがOKな世の中になったら、産める体なのに自分の体を痛めるのがいやで代理母に産んでもらうという金持ち層と、生活のために子宮を貸す貧困層という構図ができる可能性だってある。
いつの日か、「出産」は貧乏人の女の仕事になり、裕福な階層の女性は自分の体やキャリアを痛めることなく、時間を費やす事も無く、ちゃんと自分と夫のDNAをもった「我が子」をオーダーできるようになるかもしれない。

お金が絡むと問題が多いし、倫理的にもよろしくないので、では、ボランティアを前提とした代理母だったら認めるという方向にすべきではないか?という意見もあるようです。
でも…ボランティアだったら、なんていう「美談」って、もっと危険だと思うんですけど。
子供を産むって大変な事なんですよ?
「物理的に可能」であればそれは可能、という考えは悲しすぎるし、あまりに想像力がなさすぎる。女性が子産みマシーンとして身を捧げることが美談とされるような「ボランティア」があっていいものでしょか。女性も子供もモノじゃないんです。
でも、これが美しき行為であるという価値観が生まれれば、自ら進んでやる女性だって中にはいるかもしれない。
純粋に、「自分以外の誰かのために」と思って身を捧げる人が出てくるかも。
でもそれは「利用されている」以外の何ものでもない。

他人にそこまでの事をさせてまで手に入れたい子供とは一体何なのか?
やりとりされる子供の立場はどうなるのか?
代理母推進派の人には是非考えてもらいたいです。
少子化対策代理母はもってこいだ、みたいな意見の人もいるようですが、怖いです。命は国家の道具じゃありません。
(続く)