海老名家諸々

香葉子さんの尽力による東京大空襲の慰霊碑と母子像の完成、九代正蔵襲名披露と大きなイベントが続いて、海老名家から目が離せない1週間でした。
香葉子さんの戦争体験は何度聞いてもいつ聞いても、あまりの悲しみに涙が止まらなくなってしまいます。
ご自身が疎開中に、大空襲で家族6人をいっぺんに亡くされているんですよね。弟さんとご両親は、戦火の中、抱き合って力尽きていたそうです。小さな坊やを腕に抱いたお母さんをお父さんが守るように抱いて、折り重なって炎に包まれた…と。

香葉子さんが疎開に行く間際、弟さんは「ねえねえへ」と言って、自分のオモチャ箱から「めんこ」を1枚渡してくれたのだそうです。
亡くなった幼い弟さんの「生きた証」は、今でも手元に大事に残しているその「めんこ」だけ。
「写真もない、遺体も遺骨もない。これしかないんです。」と香葉子さんが語るのを聞くたびに、もうほんとうにたまらない気分になる。

人間には二つの「生」があるように思うんですよ。肉体が生きることと、その存在の記憶が生きることと。
たとえ死んでも、残された者が死んだ者の墓を建て、骨を納め、古いアルバムなどをめくりながら、ああいうことがあった、こういうこともあったね…と、その在りし日を偲ぶという行為を経ることによって、も一つの「生」が生かされるのではないかな。その人が存在した証を他者が確認することによってね。

戦争というものはそういうもう一つの「生」まで奪ってしまう、この世でいちばん悲しい死が溢れているのだと思います。
それは「誰の死かわからない死」であり、累々と重なる屍の前では、人間の尊厳など微塵もないことをもっと理解すべきです。

60年前の3月10日、そうやって亡くなった人がいったい何人いたか。

約10万人ですよ。「約」とか「10万」なんて数字からは想像を絶しますが、とにかく膨大な人生が突然、理不尽な力で奪われたということ。
その悲しみを知り、戦争の惨禍を繰り返さないと誓うためにも、数字での把握ではなく血肉のある戦争体験を語る人はどうしたって必要だし、それを聞いて次世代に伝えるのは私たち「戦争を知らない子供たち」の大事な役目だとも思います。
こうして(語り伝えの)きっかけにもなる慰霊碑と母子像が形になって残るようになり本当に良かった。
それにしても、どうしてこれに海老名さんトコの私費が投入されているんでしょうか?国は黙って見てるだけなんて、ちょっとおかしくない?

さて、お目出度いこぶちゃんの正蔵襲名ですが、襲名披露のお練りは行かなかったんだけど、記念公演のチケットは手に入れました(でも、夏まで待ちです。と、遠い…)。