Twitterと憂鬱

Twitterを見てると最近とみにイライラする。精神衛生上、なるべく見ないで過ごしたいのだが、推しの情報を得る&発信するために今や欠かせないツールでもあるので離れることができない。推しの話題やエンタメネタでタイムラインが埋まっているのであれば楽しいのだが、流れてくる話題の大半は政治や社会問題に関するツイートばかりである。目に入ると私もまったく興味がないわけではない…というか、むしろもともとはこういう話題に食いつきやすいタチなので、スルーができない。目に入るとカッとなって深掘りをしてしまう(関連項目をネットで廻ったり)。結果、ままならないことばかりで怒りに震え、無駄に消耗する。

怒っても嘆いてもどうにもならないことで消耗するのは無益で不毛だ。
人生のわずかな時間であっても憤って過ごしたくない。文句ばっかり言いたくもないし、聞きたくもない。文句を言えば言うだけ何かが改善されるなら喉が枯れるまで言ってもやぶさかではないが、そんなことはないのだから。文句を言って疲弊するのは私個人の人生だけなのだ。社会には何ら影響はない。バカみたいである。

政治だの社会だのそんなデカイ所のことなんぞなんも期待せず、自分は自分、の精神で一度きりしかない自分の人生をうまく回すことに注力すべきだ、とつくづく思う。幸せとはそこにあるのだ。…と、もともとのアナーキスト気質がむくむくと湧いて出る。
「国家」と「個人」の在り方、関係性みたいなものを私は最近いつも考えている。(本当に「いつも」と言っていいくらいだ)思うに、属する国家がいかようであろうとも、常に個人を優先するのが大原則である。なぜなら個人は現実で国家は幻想だからだ(現に今、日本ではどれだけ国家が幻想だったかあからさまにわかったでしょう)。
個人が疎かになるようであれば、国家のことなど考える必要などない、というのが持論だ。国家によって個人が抑圧され、統制され、搾取されることなど絶対にあってはならない。私にとっては全ての事象において、それが最優先事項だ。だから無益な戦いはしない。逃げるのみである。自分の身は自分で守る。これまた大原則だ。

昨今の様々な問題…コロナのこと、カルトのこと、国政のこと、台湾有事のことを考えると暗澹とする。どれもこれもイライラがつのるばかりである。何一つ思うようにはならない。疲労感が半端ない。
いきなり話がちっさくなるが、ついでに、エラそうな中華系エンタメ古参にも腹が立っている。古参といったら私だっていいかげん古参だぞ。昨今の中国ドラマには詳しくないが、中華迷ってことに関してはアンタよりずっと古参だ。バカにしてもらっちゃ困る。
エンタメ推しなのに苦言と批判ばかりとはいかに?文句ばっかり言ってるのはなぜなのよ。そんなことでいったい何が楽しいのか?
私は楽しいぞ。愛して、楽しんで、幸せなほうが勝ちだ。圧倒的に私の勝ちだから「金持ち喧嘩せず」の心意気でスルーするが、腹立たしさはずっとある。癒しとなるはずのエンタメ界隈にもイライラすることがあちこちにある。香港系のファンが大陸系を嫌がる傾向も顕著で悩ましい。香港人やそこにシンパシーを感じる人たち(=香港明星迷のような)が中国に対する感情を芸能界にまで平行移動させてしまうのは、気持ちはわからなくはないが、ツラいものである。タレントが政治をやってるわけじゃないのだから妙なヘイトはやめて欲しい。同じ中華圏を見ているのだからあの国で芸能人でいることの難しい事情などわかるでしょう。責めないで欲しい。どうにかできる問題だとでも思っているのだったらそれこそ対岸の火事根性である。
国同士の関係が難しい今、あえて分断を作ったりしないように、どの国の人間であれフラットに、最大の人類愛でもって行き来ができるような雰囲気を守ることが大事だと思うのに、あえて対立構造に持ち込もうとしているように感じる。中国の威嚇に対して「黙っちゃいられない、実力行使に出るべき」などと言っている人たちはいったいどこに着陸しようとしているのか?本格的な戦争がしたいのか?血を流したいのか?血を流すのは誰だ?為政者じゃないぞ?民の命より国のメンツが大事なのか?浅はかな血気盛んな人を見ると憂鬱である。戦争で何かが解決した歴史など一つもないのに。

いずれも共通して言えることは、「不愉快な人間は外部に対していつも辛辣な文句ばかり言っている」というところだ。彼らには必ず「敵」がいる。対立構造の中で生きるのが好きな人たちだ。政治にもコロナ政策にも中国や台湾の関係にも映画やドラマにも、文句ばかりである。絶対に自分が正しいという自信満々な態度で、である。どこから来るのその自信。あんたら間違いだらけだぞ。聞いているこちらはただひたすら不愉快である。
…といいながら、私もこうして文句を連ねているのだが(汗)、これは厳密にいうと文句ではない。愚痴である。快不快の話に過ぎない。Twitterでは腹が立っても何も言いたくないので、このプライベートな場でガス抜きをしているのです。愚痴など読んでいて不快かもしれないが、ここは私の家なので許して欲しい。もう少し。

Twitterのアカウントはほぼほぼ推しの自主広報用になっているので、こんな話は一ミリもしたくない。あ、一ミリくらいはしてしまったか。実は、香港回帰記念の日にアンディ・ラウチャウ・シンチーが悪しざまに言われているのにカチンときてつい文句(これは「文句」であった)を書いた。
全文を載せておく。(わかりやすくカギかっこなど付け足している。Twitterは文字制限があるので文章がわかりにくくなってしまう)

香港回帰記念行事に参加している明星に対して「シンパ」だとか「がっかりした」とか「推しがいなくて良かった」とか言ってる人ってなに?式典参加の有無で明星は判断されるの?香港に限らず中華圏の映画人はこの理不尽で不自由な世界でも「生きてゆく」事を意志的に選んでいて、その内実は単純ではないはずです。
あの場所で仕事をすることがどんなに大変なことなのか、どれだけの葛藤の末にその場に立って微笑んでいるのかということに思いを馳せることもなく、遠いところから揶揄したり叩いたりしている人はどんだけお気楽なんだろう。政治を批判するのと、芸能人の立ち位置を批判するのはまったく違うよ。
これからこんなことは山のようにあるよ。私は昔から梁朝偉のファンですが、彼の新作は中国勝利三部作の一つで完全なる国策映画です。だからといって「ああ、とうとう偉仔もそっちにいってしまったか」なんて思わない。彼らのおかれている状況は私たちには想像もつかない世界なのだということを常にクッションのように挟んで考える。そういう斟酌はファンだからできる。その中でどんな表現を見せてくれるのか。本質はそこでしょう。
映画人たちはどんな状況下にいても(むしろ縛りが多い環境下だからこそ)皆、とてもクレバーで、したたかで、天晴ですよ。彼らの闘いはすでに形が変わって、注視しなければ見えない水面下に行ってしまった。でも確実に「ある」と思う。表面的なことなんてどうでもいい。
イベントに出た?だからなんなの。お愛想笑いができない人、本当のことしか言えない人、は正直者ではなく、ただの命知らずという国で、彼らの生き方は必然的に私たちとは違う。
そこに理解を持たないと、いろんなものを見誤ると思う。「なんで香港の人は抵抗をやめちゃったの?」なんて無邪気に言ってる人と同じだ。死んでもいいから抵抗しろと言える人だけが遠く安全な場所から彼らに「がっかりした」と言えばいい。
張學友の発言が持ち上げられているけれど、そういった発言をしない人と比較して是非を言うべきではない。學友は立派、周星馳劉徳華はがっかりの声を聞くと、暗澹たる気持になる。人にはそれぞれ立場がある。周りの人との関り、本人の性格もあるだろう。こんなこと一筋縄でいくわけない。
いつかあなたの大好きな明星が気に入らない場所に立ったらどうするの?その人がそうせざるを得ない理由に想いを馳せず、批判し断罪するの?「推しがそこにいなくて良かった」という人に、逆ならどうするか聞きたい。しつこくこんなことを言うのは私自身がどっぷりその立場で、日々グルグルだから。
あの国で芸能活動をすることの尋常じゃない大変さを、明星迷であるならもっと真剣に考えてもよさそうなもんだ。學友はさすがだが、學友ほどの人でもあの程度のことしか言えない現状で、誰かに何かを期待するのは違う。政治とエンタメを意識的に切り離し、純粋に作品を見て判断すべきだと思う。

自分の意見は間違ってないと今でも思うが、言うべきではなかったと反省している。
中国の現状を憂えているのに、「しょうがない」という文脈でわかりきったことを言ったダメな発言だったと思う。こんな意見は無意識裡に強者に加担することになる、ということを今では理解している。私は「外側にいる日本人」なのだ。もっと(こうした不自由な国の在り方に対して)圧力をかけた言い方をしても良いのだし、できぬのならせめて黙っているべきだった。反省と共にまたもや落ち込み、さらに憂鬱になった。

なんにせよ文句や悪口を言うのは嫌だ。どんな意見であれ、誰かと対立はする。ただでさえジリ貧なアカウントが殺伐とするのは目に見えている。
私がネット活動でやりたいのはそんなことではなく、もっと、エンタメとか芸術とか楽しみとか、何気ない日常のほっこりとかそういう「楽しいこと」である。ただ純粋に、自分の好きなことで埋めたい。うっかり呟く政治的な話題一つで、その楽園は奪われる。こんな時代に口をつぐむのは嫌だが、もっと嫌な事態にならないように、この件以来、私はTwitterでは楽しい話以外はしないと決めた。

どのみちTwitterでどんなにピーチクパーチクやったって社会なんか何も変わりゃしない。他国に対してなんかもちろんそうだが、自国に対してもまるで腰抜けである。なんだかんだ言ったって、選挙に行くなんていう当たり前の行為さえろくに啓蒙できなかった。投票率は下がる一方だ。Twitter見てたらめっちゃみんな選挙行ってる錯覚起こすよ。蓋開けてびっくりだもん。あれはマジでTwitterが何の意味も無いとわかった瞬間だった。
ジャスミン革命は日本じゃ起きない。夢のまた夢だ。むしろネットは「言って終わり」「言ってやった気になる」という悪しき状態にあると思う。ツイデモなんて、デモでも何でもない。バーチャルすぎてなんの影響もない。日本じゃ実際のデモも何の効果もないが。
カルトに対する批判だってそうだ。こんなにピーチクパーチク連日ツイッターでは批判の嵐だが、いまだに何一つ変わらない。関連議員は誰も辞めないし、組閣したらしれっと大臣になってる。国葬は強行され、結局この国の人間は粛々と政府の指示通りに動くのだろう。
誰が、どんなところからどんな声をかければ世の中は変わるのか?インフルエンサーひろゆきは本当に世の中を変えられるの?いやはや呆れかえるほどTwitterなんて影響力ゼロだ。マジで顎が外れんばかりにびっくりしてる。それにしたってこんなにも届かないものなの?これじゃ便所の落書き以下である。

個人の存在など巨大なネットの海の中ではうたかたの藻屑である。どんなに頑張ったところで、結局、Twitterではいちいちが単なる話題に過ぎない。瞬時に消え去ってゆくパロールの連続。どうでもいいのだ。どうでもいいと思わないともたない。
どうでもいいと思いながらも、私はTwitterで発言し続ける目的を決めている。決めないとただ疲弊すると気づいたので、自ら意味を持たせたのだ。そうすると価値のないパロールの連続にもヤケッパチにならずにいられる気がする。私はTwitterを目標達成のためのツールとしてとらえることにした。
目標は2つある。
1つは自ブログ(もう一つのファンブログ)への誘導、集客。
もう1つはファン同士の出会いだ。同じように熱量を持ったファンの人と知り合いたいというのは切実な願いだ。それがどんなに楽しいことなのか、経験上良く知っている。本当に楽しかったあの頃を再び手に入れたいのだ。やがてコロナが収束した時に、一緒に西安に行って長安二十四時のテーマパークで盛り上がれる仲間がいたらどんなにかいいだろう。一人でもそんな友人がいたら夢のようである。

つい愚痴の出る世の中にありながら、私はこれからも「自分のために」ネットの海の中を泳いでゆこうと思っている。昔みたいに心強い仲間がたくさんいる状況じゃない。果てしなく孤独である。深夜の海でポツンと一人、犬かきをしているような気分である。でも、バーチャルな私はここで生きてゆく。
文句も言わず、明かりを灯し続けながら泳ごう。ふいに力尽きる時が来るかもしれないが、その時はその時。また自分の楽しみを他に探せばよい。
…と、ここまで書いていったい私は何が書きたかったのか?と迷子になっている。
ただ愚痴りたかっただけじゃないか?という気がする。愚痴る、というのは一つの甘やかしである。ちょっと甘えてみたかったのかもしれない。

このブログは時々こういうことができるから、やはりなくては困る場所だ。ファンブログと切り離してよかった、と思ってる。ヘタしたらあっちのブログは即時撤退という事態もあり得る場所だし。
今日だっていきなり恐怖を感じるくらいの勢いでカウンターが回ってて、しかもほとんど中国からのアクセスだった。調べたら微博で誰かが私のブログの記事にリンクを貼ったようなのです。大バッシングがあった時の記事なので、来ている人たちがファンではない(アンチである)可能性が高い。ヤバいなー変なことにならなきゃいいけど…と思いつつ嵐の過ぎ去るのを待つ。だんだんアクセスが減ったきたので、興味も失せたことでしょう。そもそもあの長文を読める人、そういないと思うし(日本人でさえ嫌になる長文w)。とりあえず、こんなことはたびたびあって、その都度頭の片隅でサイトの撤去になる事態も起こりうるなぁと思う。危なっかしいことをやってる感じになっちゃってるけど、こっちはただ好きな人のファンブログを書いてるだけだ。悪びれずに堂々としていなくてはね。